お祭り基礎講座 祭とは何かを考える(1)
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1 祭とイベントの差異
祭とは何か。定義といえば真っ先に思い浮かぶのは広辞苑であるが、
1.まつること、祭祀。祭礼。
2.記念・祝賀・宣伝のために催す集団的行事。祭典。
3.特に、京都賀茂神社の祭。葵祭。
(第2版補訂版より)
ただ単に「祭」といえば葵祭のことだという3番目の定義は面白いが、1.で
は余計にわかりにくいし、2.については、いわゆるイベントの定義である。
それでは、どのような要件を満たしているものを祭というのだろうか?
民俗学者や文化人類学者の間でもまだはっきりとした答えが出ていないが、祭に必須の要素とは、次の4つと考えられる。
1.聖性
2.日常性からの脱出
3.周期性
4.集団関与
1.聖性とは、祭では御神体とか仏像とか祭の祭祀具とか、さまざまなシンボルを用いてこれをまつり上げ、さらに、それぞれの祭に固有のしきたりやルール
を参加者に課したり、お篭りやお清めなどをして、聖なる時間や空間をつくりだすこと。
神様のお祭であれば、4本の木を立て、それの周りに注連縄などを張って「祭の領域」などとし、禊をした神官や氏子でないと中に入ることが出来ないというようなことがよく行われている。
それによって、2.の「日常性からの脱出」を果たすことにもなる。また、日常性からの脱出とは、祭の期間中は通常の仕事や学業が免除されることでもある。
1度きりの祭というのはほとんどありえない。ほとんどの祭というのは、1年に1回とかのように繰り返し行われるものである(雨乞いなどのように、時間的
に不定周期の祭りもあるが、例えば雨乞いなどは、干ばつになったときに行うという条件的周期性をもつものと考えられる)。
周期があるということは重要であって、ある周期ごとに共同で祭をとりおこなうことによって、集団の中での自己のアイデンティティの確認が徐々に定着して
いくとされる。いわゆる「ふるさと意識・仲間意識」というものである。
また、 繰り返し行われることにより祭のしきたりやルールや技術が後世の人々に受け継がれるという側面もある。
伊勢神宮の式年遷宮は、20年に一度お社を建替えてしまうというものであるが、この20年周期というのは、宮大工が次世代の職人に技術を伝えていくのに20年周期がちょうどいいとされている。10年だと金がかかりすぎるし、30年だと次世代に技術を伝承するのが難しいからとか。
祭には、「集団の中での自己のアイデンティティの確認」という重要な機能があるとされている。厳しいルールやしきたりなどによって行事を遂行することによって、ああ自分はこの仲間の一員として生きているんだという喜びを再発見す
ることであろう。集団の中での自己の達成感といってもいいだろう。そして、これがあるかないかが、祭と、イベントや儀式とを大きく分けるものといっても過言ではないだろう。
祭とイベント、外見的には良く似たようなものにみえるが、概念的にはまったく違う。祭とイベントを分けるもの、それは、
・祭とは、参加者の観点からみた「主観的な」もの
・イベントとは、企画者の観点からみた「客観的な」もの
という違いがある。
イベントであって祭でないといわれるものに、最近の行政主導の「まつり」がある。住民に連帯感を持たせるとか、大勢の観光客を誘致したいとか、商品や会社イメージなどをアピールしたいといった主催者側の目的というものがある。
それらの目的にしたがって「イベント」を企画・運営するのであるが、それを「祭」と思うかどうかは、ひとえに参加者の意識にかかっている。
こうした行政主導の「まつり」に、本当の祭ではないといわれる理由は、さきの「集団の中での自己のアイデンティティの確認」をさせるという祭の目的が満足されていないところから来ているようだ。古くからある祭だとそうではないのだが、行政おしきせの○○祭りでは、上から押し付けられているような気がする、自分たちの本音が充分表現できない、なんとなくすっきりしない、という感情を覚える。こうなった時点でイベントは祭りでなくなる。
商品の宣伝や観光だけが目的のイベントならともかく、住民に連帯感やふるさと意識をもたらすのが目的のイベントの場合、ちゃんと「祭り」となるか、「イベント」でおわってしまうか、これはひとえに「祭りの参加者」の視点に立って考えることが重要になる。
それにはまず、「自分がその祭りに(一般参加者として)参加してみて楽しいかどうか」を考えてみることが第一歩といえる。